2022年8月22日月曜日

今週から2学期が始まります

今週の昨年の8月25日(木)から2学期が始まります。

東京都だけでなく各地でコロナ感染者数が増加していますが、行動制限のない夏休みが終わろうとしています。予定通り25日に始業式を行います。今日を入れて夏休み残り4日は、残っている宿題をどうにかしたり、コロナ感染対策を思い出したり(手洗いのハンカチやマスクの用意など)、持ち物の準備を整えられるようにしてほしい最後の頑張りどころです。

昨年のこの時期、このブログに「学校が始まると思うと悲しくなってしまう、という話も聞かれます。その気持ちもわかります。それでも、誰かにその悲しさを話すことが解決につながることもあります。悩みは一人で抱えると重さがつらいですが、誰かと共有するとつらさも薄れる可能性があります。誰かと話すためにも、学校に登校してほしいと思います。」という話を載せました。」今年度は、7月の「五小だより」巻頭言にそのことにも関する話を掲載しています。長いですが・・・・・・。



      空がある「五小だより」7月巻頭言~

 

空がある毛虫の明日には空がある  

 

 「毛虫」は夏の季語で、この句の作者は「見上げてごらん夜の星を」や「上を向いて歩こう」等の作詞をした永六輔です。毛虫は蝶や蛾の幼虫であり、ひらひらと空に飛び立つ明日が来ると思うと、生きるもの全てに未来があることを伝えているように感じます。

 しかし、生きる者全てが未来をいつも明るいと思っているとは限らず、社会や学校との接点をもちたくなくなることもあります。傍目からは重大な事柄とは思われない案件であっても明日は学校に行きたくない、そう思ったことが一度はあるという子どもの数は相当なものになるでしょう。

 子どもたちは、学校で家での出来事等を話し、家で学校での出来事等を話します。かつて先輩の先生から「そういう風に誰かに話すことで子どもは自分(の気持ち)を整理しているんだ」と聞いたことがありました。後年、スクールカウンセラーの方々からもっと詳しく説明していただきましたが、話すことで自分が間違っていなかったことを確かめたり、自信をもったり、聞いてもらって安心したりすることで、大きく励まされ、次への活力を得られるそうです。成長と共に、家族ではなく友達に話すようになったり、話す相手を厳選したりすることもありますが、話す理由「共感を得たい」という気持ちゆえの行動とも思われます。また、学校や家での話をしない子どもに、励ましや活力の不足が見られるとは限らないのは、共感を日頃から得られていたり、別な場面で充足されていたりするからなのかもしれません。

 学校の先生はしばしば話したがり屋で(私も含まれます)、共感どころか話を遮ったり説教に切り替えたりしがちなのは、話の中で取り上げられる子どもの行動にひっかかってしまうからなのだそうですが、共感のポイントは行動の背景である心情の方です。さて、地域・保護者の皆様は、子どもの話にどのようなスタンスで向き合っていらっしゃるでしょうか?

 

 721日から夏休みが始まります。ここ数年、夏休み明けに増加すると言われる未成年の自殺や不登校を防ごうと、8月の後半になると様々なメッセージが報道で取り上げられるようになっています。昨年の820日には、本校のブログにも「学校が始まると思うと悲しくなってしまう、その気持ちもわかります。それでも、誰かにその悲しさを話すことが解決につながることもあります。」と載せました。でも、悲しいことやつらいことは、8月後半から9月初旬限定で起きるわけではないはずです。

 誰の頭上にも空があり、明日があります。楽しいことばかりではないけれど、誰かと話し、共感を得て、少し元気になって明日を迎えてほしいと思います。試合に負けた日もテストの日も給食のお代わりにありつけなかった日も通知表をもらった日も仲良しの子が転校した日も夏休みも2学期もその先もずっと。そしてそれは、子どもはもちろん、大人である先生にも保護者・地域の皆様にも、なのです。

 

 ※「六輔・五・七・五」著:永 六輔  岩波書店