4年生は、国分寺市の重要史跡である恋ヶ窪村分水に行きました。
恋ヶ窪村分水は、1657年に国分寺村・恋ヶ窪村、貫井村(今の小金井市)の3つの村が幕府に願い出て開削した玉川上水の分水で、恋ヶ窪村へ水を引いた堀跡です。
玉川上水の分水にしては規模が大きく、緑地内の堀の幅は上端部で約6~9m、堀底で約50センチメートル、深さは約5mで、堀底は北から南に向かって低く傾斜しています。
恋ヶ窪村分水は水田の灌漑用水として昭和40年代まで利用されてきました。その後、大部分は暗渠となり姿を消しましたが、恋ヶ窪用水路周辺緑地内に空堀の状態で保存されています。
恋ヶ窪村分水は水田の灌漑用水として昭和40年代まで利用されてきました。その後、大部分は暗渠となり姿を消しましたが、恋ヶ窪用水路周辺緑地内に空堀の状態で保存されています。
「美しい用水の会」の皆様から
丁寧に説明を受けました。
開削当時の素掘りの形状を留めています。
木の根っこがむき出しになっていても立派に成長している木に、恋ヶ窪村分水の長い歴史を感じました。